脳梗塞体験記

MRI検査以上なしから3日後の脳梗塞の予兆から発生、救急搬送で入院から退院までの経緯

MRIで検査OK、が結果的に3日後に脳梗塞発症!

4月14日 脳ドッグ受診 脳は異常なし

脳ドッグ受診。脳は問題なしだが、頸動脈に小さなプラークのようなものがあるとのことで1か月後に再受診とした。

5月14日 頸動脈確認のため再度MRI受診 異常なし

脳神経外科にて再度MRI検査実施。脳はまた異常なし。プラークも特に変化なく半年後から1年後に再受診予定となった。

5月17日 朝起床直後に倒れるも半日でほぼ回復

結果的には最初の脳梗塞発生したが、半日で落ち着く。当時は3日前の脳ドッグで異常はなかったことから脳梗塞とは全く考えず、メニエールか何かと思った。お昼過ぎにはほぼ治った感じだったので、歩いて20分ほどの仕事場へ。

5月18日 昼食直後に異変。救急搬送で

結果的にまた脳梗塞発生。救急車にて海浜病院へ搬送され、脳梗塞と診断。その後、脳神経外科のある東京女子医大病院再搬送され、ICU(集中治療室)へ入院となった。

5月19日 状態が良くなったのでICUを出ることになったが、一般病棟満室のため、別の病院へ再転院して、一般病棟へ入院

2度目の脳梗塞発症後は、2日目の朝には体の状態が、ほぼ回復していたため一般病棟へ移ることになった。しかし、東京女子医大病院では一般病棟がいっぱいとのことで、自宅に近い総合病院へ再度転院となり、そこで一般病棟へ入院となった。

5月29日 退院

転院して一般病棟へ入院後は体の状態はほぼ元に戻っていた。入院後数日は点滴はあったが、トイレへは自分で歩いて行けた。こちらへ入院後、毎日リハビリも行ってもらったが、大きな問題はなかった。そして、5月29日に退院となった。その後、1週間ほど自宅で過ごし、その後少しづつ普通の生活、仕事に戻していった。

上記が脳梗塞発生当時の大まかな様子である。今後の忘備録として、もう少し詳しく書いておこう。

最初の脳梗塞(後から考えれば)

3日前のMRI検査で異常がないと確認された3日後の5月17日の朝7時頃、いつものようにベッドの上で目を覚ました。が、ベッドから立ち上がった瞬間、まさに天と地がひっくり返ったように、平衡感覚が全くなくなり、「うわー!」という叫び声とともに、その場で倒れこんでしまった。立ち上がることはおろか、倒れた状態で体を動かすことも出来ないくらい、平衡感覚は全く戻らず、ピクリとも動けない状態が続いた。ぼくの叫び声と倒れた音で、家内が来てくれたが、家内も何もできない。ただただ、動かない体から脂汗だけが、ド~っとにじみだしてくるだけだった。

その状態が、定かではないが、10分ぐらい続いただろうか。少しづつ、平衡感覚が戻ってきた。トイレに行きたかったので、家内に手伝ってもらいながら、這うようにして倒れた場所から5mぐらいのところにあるトイレに入り、なんとか便座に着座。用を足すことが出来た。そしてまた、家内に手伝ってもらいながら、はいずりながらベッドへ戻り、なんとかベッドの上に横になった。その後、平衡感覚は少しづつ戻ってきたが、目が回ったような状態が続きながらも、そのまま眠りに入った。

本来ならこの時に救急車を呼ぶべきだったのかもしれない。でも、3日前にMRI検査で異常なしの結果が出ていたので、脳梗塞ということは、全く考えなかった。以前にも経験したことがあるメニエール病だと思い、また少しづつ状態も良くなり、半日後にはほぼ回復したので、これがまさか最初の脳梗塞だとは思わなかった。

朝倒れて、少し良くなりベッドで寝てから3時間ほど経過した11時ごろ、目を覚ました。体の違和感は、まだ少しあったが、平衡感覚はほぼ回復していて、ベッドの上でゆっくりと体を起こすことが出来た。その後も、ゆっくりとベッドから降りて立ち上がることも出来るように回復していた。寝室は2階にあるので、階段を下りて下に行ったが、ほぼ問題なく移動出来た。

午後になって、体の異常はほぼなくなったので、自宅から歩いて20分ほどの仕事場へ行き、いつも通りの生活に戻った。と、その時は思っていた。

2回目の脳梗塞(結果的に)、救急搬送、ICUへ入院

昨日の朝、異常な体の変調はあったが、午後以降回復していた。翌日の5月18日は朝は普通に以上なく起きて、いつも通り仕事に行った。ただし、その日は買い物に行けなくなっている母のところへ食料と弁当を届ける日だった。いつもは一人で行っていたが、前日の朝にけっこう大変な異常があったため、念のため家内が一緒に行ってくれることになった。

いつも通りスーパーで買い物をして、助手席に家内が乗って僕が自分で車を運転して母の家行った。車で40分ほどである。母の家に着いて、買ってきた弁当を一緒に食べ終わるまでは、全く異常はなかった。

弁当を食べ終わり、一緒に買ってきたデザート用のプリンを食べようとしたその時である。急に頭に異常を感じ始めた。眼球を動かそうとすると気持ち悪くなるような違和感を感じたのである。手足を動かそうとしても、同じように違和感を感じ、同時に吐き気も感じるようになった。一緒に来てくれていた家内に、その体で感じた異常を伝える。家内もすぐに僕の異常を感じて、前日の異常もあったため、家内は先日MRI検査を受けた病院へ連絡してくれた。そして病院からはすぐに救急車を呼ぶように指示されたとのことで、家内が救急車を呼んでくれた。その間、僕は椅子に座ったまま、眼球を動かしたり、体のどこかを動かそうとすると気持ち悪くなるので、室内の一点を見つめたまま体が固まったかのように全く動かず、またしゃべろうとしても、ろれつが回らなくなってきた。

10分ほどで救急車が到着して救急隊員の方々が来てくれた。しかし、僕は動けずに吐き気が強くなり、救急隊員さんに促されてその場で嘔吐した。救急隊員が来てくれてからも、すぐに運ばれることはなく動けない僕の様子を救急隊員の方と家内と母が見守る状態が続いた。嘔吐した後、ほんの少し状態が良くなり、なんとか立って、かなりフラフラしながらもゆっくりと自力で歩けるようになったので、室内から自力で、外の救急車のところへ歩いて行った。ただし、超ゆっくりとかなりフラフラしながら。

救急車のところまで歩いて行ってから、救急車用のタンカに乗せられた。そして救急車の中へそのまま移動した。救急隊員の方が搬送先を決める連絡をしている間、救急車の中でも吐き気が強くなり嘔吐した。搬送先は車で5分ほどの、海浜病院となり、そこへ搬送された。まずは新型コロナ感染確認のためPCR今朝を受け、陰性確認。その間、また吐き気が強くなり嘔吐した。そしてMRI検査を受け、脳梗塞と診断された。ただ、海浜病院には脳神経外科がなかったため、すぐに脳神経外科のある東京女子医大病院へ転院となった。再び救急車へ乗せられて車で40分ほど東京女子医大病院へ移動。再度MRIにて小脳に脳梗塞確認、ICU(集中治療室)へ入院となった。ICUに入ったのは夕方であったように思う。そのくらいの時点では、自分では少し状態が改善されていると感じていた。点滴をされていたせいか、トイレに行きたかったが、ICUに入ったばかりで、自分でトイレに行くことはさせてくれなかった。したがって尿瓶を使わざるを得なかった。

ICUに入って夜は、おそらく寝たのだろう。翌朝、自分ではほぼ回復したような感じだった。トイレも歩いて行けると思って頼んだが、医師の確認があるまでダメ、ということでまた尿瓶。午前中に医師が廻診に来たのでその時の状態を確認してトイレは看護師の付き添いの元、言って良いと判断された。

医師の許可が出たので、歩いてトイレに行ったのだが、普通にスタスタと歩けるようになっていた。その様子を見た付き添いの看護婦や周りにいた看護師さんたちは、その様子を見て、驚いていたようだ。付き添いしてくれた看護師さんによると、ICUの中で、普通に歩いている患者を診ることはほぼないので、みんな驚いていたそうだ。

そういう状態まで回復していたので一般病棟へ移ることになった。でも東京女子医大病院では満杯で移れないとのことだったようで、別の病院の一般病棟へ移ることになった、とのことを聞いた。そして、ICUへ入ってから翌日の午後に、また転院となった。

また救急車かと思ったら、次の病院への移動は自家用車とのことだった。家内と長女が病院の入り口に迎えに来ていて、僕は付き添いの看護師さんと一緒に歩いてそこへ行った。家内と長女も僕が歩いてきたことに驚いていた。車椅子で来ると思っていたようだ。

自宅近くの総合病院へ転院、入院、10日後に退院

転院先の病院に到着してからは、自力で普通に車から降りて、病院の待合室に行った。家内は車を駐車場に止めに行った。家内が戻ってきてから看護師さんが入院する病室に案内してくれた。そして、そこでの入院生活となった。

当時病院に入院すると家族の面会もかなり制限されているところが多かったが、意外にもその病院では、平日は毎日面会が可能だった。ただし、1階の面会時間は5分との制限だった。平日は毎日家内が来てくれた。

毎日2回、リハビリをしてくれた

この病院へ転院した時点で、すでに自分では体は元に戻ったと思っていた。でも、脳梗塞ということで、入院して1週間ほどは、毎日点滴をする時間があった。

幸い、体の一部が不自由になるような後遺症は全くなかった。しかし、ほぼ同時期に脳梗塞で入院した同室の人が、最初はけっこう動いていたが、次第に体にマヒが出てきたようで、1週間ほどすると、その症状が悪化しているのを見ていたので、今後についてはやはり注意しないといけないとも思っていた。

入院中はほぼ毎日、リハビリを行ってくれた。理学療法士と作業療法士の二人がそれぞれ30分程度のリハビリを行ってくれたのだ。でも、僕の状態は脳梗塞による後遺症は全くなかったので、それに対するリハビリというよりも、当時40肩らしきもので左肩の痛みがあったので、それにたいしての対処を中心に行ってくれた。理学療法士さんとは、天気が良い日は病院の周りでの散歩なども行った。ちなみに理学療法士と作業療法士の違いは次のようなものであるらしい。

理学療法士(Physical TherapistまたはPhysio Therapist、略称PT)

病気やケガの影響で機能が損なわれた部位に対し、ストレッチや筋肉トレーニング、マッサージなどによって、日常生活の基本的な動作ができるようにしてくれる。また機能の回復と同時に症状の悪化の予防も行ってくれる。

作業療法士(Occupational therapist、略称:OT)

日常生活では行ういろいろな動作を出来るようにすることが主な目的。理学療法により機能が回復した部位に対し、具体的な動作ができるようにトレーニングするのが主な仕事となるようだ。また、身体のみでなく、精神的な障害を持つ人に対しても、日常生活、社会生活への復帰を手助けしてくれる。

入院生活は、やはり退屈なものである。僕の場合は、ほぼ体の状態も普通になっていたのでよりそう感じたかもしれない。でも、脳梗塞は再発の可能性もあるようなので、安心はできないとも思っていた。実際、最初の異変から1日後にまた異変があり、この状態になったのだから。

とりあえず、この病院へ転院後は、状態が悪くなることもなく、1週間ほどで点滴も取れて、10日後に退院となった。

家内には、当分頭が上がらない

今回の脳梗塞は、発症から退院までほぼ半月。その間、家内はとてもいろいろとやってくれた。最初の脳梗塞発症の翌日、いつもなら一人で行く母のところへ心配だからと一緒に行ってくれて、そのお蔭で、母の家出の2回目の脳梗塞発症時に、迅速に対応してくれた。もし、ひとりだったらどうなっていたかわからない。母はいたけど、そういった対応は無理だっただろうし、自分は全く動けない状態だったから。その日に家内が一緒に行ってくれたことは、感謝しかない。

また、その母への週2~3回の訪問(食材などの買い物や弁当を届けること)を、僕の入院後は家内がやってくれた。僕の入院中は、毎日、平日は面会に来てくれて洗濯物などを対応してくれた。家内には、以前からお店の対応も任せており、それに加えて、僕の対応、そして僕の母のほぼ介護もやってくれたのである。

退院してからも、母に対しては僕はまだ入院していることにして、家内は自分が対応した方が介護に関しても進めやすいと言って、母の対応を5か月後の今時点でも行ってくれている。母には、まだ僕は入院していることにして。

実際、昨年以来の難題だった母に介護ケアサービスを受けさせる、ということについても、母の地元の包括センターの方と相談しながら、なんとかデイケアサービスを受けるようなところの第一歩のところまで進めてくれている。

それがうまくいったら、母に対して僕が退院できるようになったということにする予定だ。

介護に抵抗する親に対しては、血縁者ではないほうがうまくいく、というアドバイスをもらったようで、それを実際に、実践してくれているのである。

介護に抵抗する、また突然怒り出したりする母の対応は、僕にとっても大きな精神的なストレスになっていた。もしかしたら、そのストレスも脳梗塞の一因だったのかもしれない。それを現在、家内が取り除いてくれているのである。

今回の脳梗塞の件に関して、家内には感謝しかない。当分、家内には頭が上がらないし、感謝の気持ちをもっていきたいと思う。