物事は何事も結果が大事なのか?

何事も結果は重要、だけれど・・・

世の中、何をするにも結果がその後に大きな影響を与える場合がある。

でも、良い結果が必ずしもその後の人生を良くするとは限らない。希望する結果が得られなかったことが、その後の人生を素晴らしい方向へ向かわせてくれることもあるだろう。

でも、やはり人間だれしも、まずは結果を求めるだろう。

わかりやすいのはスポーツだろうか。例えば野球。その中でも高校野球。

春と夏の甲子園は、日本の文化の一つと言ってもいいくらい、国民的な行事である。甲子園に来る各都道府県の代表校は、そこにたどり着くまでに各地区での予選を勝ち抜かなければならない。

地区予選を勝ち抜いた結果、甲子園という晴れの舞台で試合が出来るということになる。つまり地区予選で優勝するという結果がなければ、甲子園に来ることはできないのだ。

さらにその甲子園でもどこかで負ければ、すぐに甲子園から去らなければならない。それでも決勝まで来れば、負けても最後の試合まで残れることになる。勝ちあげれば上がるほど、負けという結果の影響度は少なくなるのかもしれない。

でも優勝と準優勝では、やはり差があるだろう。

とても野球の才能ある球児がいたとしても、地区予選で勝ち上がってこないと、その才能を多くの人に知ってもらうことはできない。野球は個人種目ではないから、いくら個人の能力が高くても、チームとしての力がないと勝ち上がれないからね。

したがって、どんなに野球の能力があってプロを目指しても、勝てないチームにいたら、プロにはなれないだろう。だから、力のある子は勝てるチームへ集まってしまう。

逆に、個人の能力に秀でた子がいなくても、チームとして強く、甲子園で決勝まで残れば、その中からプロになる子もいるかもしれない。

つまり、野球に限らず、スポーツの世界では勝つという結果がとても重要だということだ。

そしてこれは、スポーツだけでなく、世の中あらゆることで結果がとても重要であることは間違いないだろう。

ただし、その時良い結果だと思ったことが、その後の人生でマイナスに影響することもある。逆に、その時良い結果が得られなかったがゆえに、その後の人生で成功する、ということもあるだろう。

したがって、甲子園で優勝したことがその後の人生に良い影響を与えるとも限らず、また地方予選の初戦で敗退したとしても、それが必ずしもマイナスに働くとも限らない。

つまり、勝つにしろ、負けるにしろ、その結果をどうその後の人生に生かしていけるか、が問題なのだろうと思う。

結果よりも過程が重要、それもそうだとは思うが・・。

よく言われるのが、結果よりもそこに至る過程だ、ということである。

つまり、結果はともかく、そこに至るまでに、いかに努力をしたか、頑張ったか、何を身に付けたか、ということである。

例え試合で勝てなかったとしても、そこまでの練習で必ず得られたものがあるはずである。勝ったか、負けたかという結果よりも、いかにそこまで頑張ったのか、が重要である、という考え方である。これも一理あると思うし、決して間違いではないとも思う。

しかし、時と場合によってはその理論は単なる負けた人間への気休みにしかならない場合もあるだろう。

例えばプロスポーツ。ゴルフやテニスなどでは、予選落ちでは全く収入を得られない。ある程度までは結果を出さなければプロとして生き残れないだろう。

そして優勝するのと準優勝では賞金に大きな差が出ることもあるだろう。

そうなると、結果の違いはその人間にとってとても重要なものになる。

例え、ろくに練習できなかったのに、たまたま勝てた、何かが幸運して勝てた、という場合でもその結果得られるものはとても大きなものとなる。逆に、死に物狂いで練習してきたのに、負けてしまえば大きな損失となってしまう。

こういったことは、スポーツの世界に限らない。

例えば僕は以前、磁気テープの製造工場で生産技術という仕事をしていた。磁気テープというのはビデオテープやオーディオテープのことである。と言っても、今の若い人は全くしらないかもしないけど。

この磁気テープは1時間設備が稼働すれば、結果的に数千個の製品が出来る。ということは、何らかのトラブルで1時間設備が止まってしまったら、その分の製品が生産出来ないということになる。

また、歩留まりが1%落ちるだけで、製品の生産量は大きく減ってしまう。

こういった問題に対処するのが生産技術の仕事である。

この場合、理由はともかく、まずは設備を稼働させる、歩留まりを回復させる、ということがとても重要になる。そこで問題解決のための仮説を立てながら、考えられる対策を行っていくのである。

しかし、必ずも原因がわかるとは限らない。その場合、ある意味、勘のようなものに頼る場合もある。それで解決すればOKである。なぜ解決でいたのか、その理由がその時点でわからなくても。

解決できたという結果が重要なのだ。

なぜ解決できたのかは、後から考えればいいのである。

したがって、生産技術の仕事は語弊があるのを承知で言えば、過程より結果重視なのである。

逆に、過程が重視されるのは研究者と言われる人たちではないだろうか。

研究という仕事は、その過程での実験や作業、調査でいろいろなことがわかると思う。場合によっては、本来の目的、テーマとは全く違った発見や発明なども生まれる可能性がある。

もちろん、本来の研究目的、テーマに対しての結果が出るか、出ないか、も重要だとは思うが。

結果の良し悪しにかかわらず、前に進もう

結果の良し悪しは、その結果が出た時点では良い結果が良いのは間違いないだろう。希望する結果が得られなければ、だれしも少しはがっかりするだろうから。

でも、そのがっかりした気持ち、悔しさが、いわゆるバネとなり、その後の努力につながり、成功する、というのがサクセスストーリーの王道だったりもする。

ただし、その時の悪い結果が、その後の人生に影を落とすこともあるだろう。

でも、結局、どちらに転ぶかは、その人がその結果を受けてどう考えるか、行動するか、によるのではないだろうか。

ある悪い結果によって、その後の人生がどんどん悪くなったと思う人でも、その結果の後の考え方、行動によっては、全く違う人生になった可能性も十分あるだろう。

また、悪い結果をバネにしてその後の人生を成功させた人が、もしその悪い結果ではなく、良い結果を得られていたら、その結果に満足してしまい、逆にその後の人生はあまり素晴らしい物にはならなかったかもしれない。

そういう意味では、結果の良し悪しに、一喜一憂する必要はないのかもしれないとも思える。

でもそれは違うだろう。

良い結果を得られた時は、素直に喜び、さらなる良い結果を求める。

悪い結果であれば、思いっきり悔しがり、絶対にリベンジを目指す。

それが重要だと思う。

つまり今得られた結果を正直に受け取め、嬉しいときは喜び、悲しいときは悲しみ、悔しいときは悔しがる、だけどその後はしっかりと前を向き、前に進もうとする努力をする。

これが大事だと思う。けど、時々、どちらが前なのかわからなくなるのも、人生だけど・・・。そんな時は立ち止まって周りをよく見る、少し戻ってゆっくりと考える。そうすれば、どちらが前が見えてくるかもしれない。

周りのだれかに道を尋ねてみるのもいいかもしれない。でも、必ずしも正しい道を教えてくれるとは限らない。やはり自分で考えることが必要だ。

と思うけど、現実の中ではなかなかそれが出来ないのも人間かもしれない。