最近感じる脳がバグったこと
やはり50代後半ともなると、年齢なりの脳の衰えがあるのだろうか。
若いときにはあり得なかったことが起きるようになってきた。
なんだったか、それさえも思い出すのが出来ないこともあるが、とりあえず思い出せたものを書いてみよう。
- 人の名前を思い出せないだけでなく、愛車の名前が思い出せなかった。
- 車を運転して、ふと今どこを走っているのかわからなくなる。
- キーボードの入力で母音を先に打ってしまう。
愛車の名前が思い出せなかった。
これはショックだった。人の名前を思い出せないことには、ある意味少し慣れていたが、まさか、自分の持っている車の名前を思い出せないなんてありえないことだ。
でも思い出せなかったのだ。
思い出せなかったのはシエンタだ。
一度だけだったが、形も色も思い浮かぶのだが、車の名前がどうしても出てこなかった。
走っている車を見て、この車なんだったかな、ということはたまにあったけど、まさか自分の持っている車の名前を思い出せないなんて信じられないことだった。
車を運転して、ふと気が付くとどこを走っているのかわからない
これは、少し前から時々ある。
いつも通っているところなのに、ふと気が付くと、周りの景色が始めてみるところのような感覚に陥り、今どこをはしっているのか一瞬認識できなくなるのである。
が、ほとんどの場合、すぐにどこだかわかるのではあるが、これは自分のことながら、けっこう怖いかもしれない。
キーボードの入力で母音を先に打ってしまう。
これは、上のふたつとは少し違うことだが、最近よくあるキーボードの打ち間違いである。
少し前までは、こんなことは全くなかったのだが、ある時期から、このうち間違いをすることがあるようになった。
パソコンのキーボードの入力は、以前からブラインドタッチで行っているのだが、ローマ字入力なので子音を打って母音を打つことになる。当たり前の話だが。
それが、微妙に指の動きがずれて母音を先に打ってしまうことが、たまにあるのである。
これは、脳の指令系統の問題なのか、手あるいは指の運動機能の問題なのかわからないが、いずれにしても、50代前半まではこんな打ち間違いをした記憶はない。
50代、体の衰えは仕方ないのか?
やはり年には勝てないのか?50代になったことを考えれば、上に書いたようなことは不思議なことでも、珍しいことでもないのだろうか?
眼鏡なんか全く縁がなかった若いころが嘘のように老眼鏡がなければ本も読めない。
頭も、ひげも白くなっている。
走れば膝が痛くなる。
当然、見た目も確実に老けてきている。
当然のことなのだろうけど、まだ受け入れるのが難しい、それが50代なのかもしれない。
ただ、最初に書いたような、自分の車の名前を思い出せない、車で走っていて、一瞬どこを走っているのかわからなくなる、これは単なる年のせいとも思えない。
脳の劣化が年相応以上、あるいはそれに該当しないところで進んでいるのだろうか?
でも、普段は普通に生活できている。
また同じようなことが何回かあるようであれば、医者に行く必要があるのかもしれないのかな。とも思う。
でも、ここで年だから、とあきらめてしまったら、加速度的に脳も体も老化が進んでいくような気がする。
体の劣化は仕方ない部分もあるだろう。
でも、気持ちの老化は防ぐことができると思う。
そして、その気持ちがあれば体の老化を遅らせることも出来るのではないかと思う。
睡眠時間を短くしてまでやりたいことはたくさんあるんだから、もう少し年齢に対してあがいていこうと思う。
もう50代、ではなく、まだ50代、の気持ちを持って。