明らかに認知症、でも本人が受診を拒否したら何もできないのが現状

最近のことは何度話しても聞いてくる、父の入院後、物忘れが激しくなった母

11月には90歳になる父が、救急車で搬送、そのまま入院となったのが、約2か月前の7月初旬。その経緯は「介護未満でも2年近く書けなかった」の後半で書いた通り。

それまでも、週に2回は両親の家に、車で40分ほどかけて通っていた。そして、数メートルも歩くと「もう歩けない」、と言い出す父のための車椅子を車に乗せて、両親と一緒に食事と買い物に行っていたのである。

その週2回でさえ、なんとか減らせないかと思っていた、のだが、父の入院後からは毎日母のところへと通うことになってしまい、それが約1か月続くことになった。

母が、最近物忘れ、特につい先日、あるいはついさっき言ったことを忘れるなぁ、と父の入院以前から感じていたので、家で一人になった母が心配だったからだ。

実際、父の入院後、母の物忘れが急激に激しくなっている。

父の入院後は毎日のように母が、「お父さんは何で病院に行ったんだ?」と聞いてくる。そのたびに、説明するが、次の日になるとまた同じことを聞いてくる。

入院の経緯を簡単に説明しても、次の瞬間には「あついが自分で救急車を呼んだんだ!」と怒りだす。そのたびに、「そうじゃなくて、・・・」と説明するが、記憶に残らないようだ。

そして、父が入院前に階段から落ちて以降、ベッドから車椅子に乗り移ることはおろか、寝た状態からも全く自力では動けなくなった。でもそれも、何度も説明しても、記憶に残らない、あるいは記憶に残したくない、のか。

何か郵便物が来ると知らせてくるので、僕が内容を確認して、例えば「これはに年金が振り込まれる連絡だから、特に何にもしないで保管しておけばいいんだよ」というと、「じゃあ、ここに置いておけばいいんだね」と机の上に置く。

でも、毎日行くたびに「ここにこんなはがきがあるんだけど、なんだろう」と聞いてくることがほぼ1か月は続いていた。他の郵便物もしかりである。

それも、母の家に行ったときに聞かれるのだけであればいいのだが、母の家を離れたとたん、携帯電話で、それを聞いてくることもしばしばだ。

母は携帯電話はとりあえず、使っているが家の固定電話は、このご時世危ないので、かかってきても絶対に出ないように以前から言ってあり、それは守ってくれているようだ。

しかし、父の入院以降、「電話(家の固定電話)がなんか光っている」という携帯電話からの母の問い合わせ(?)がしばしばかかってくるようになった。

固定電話に着信があると、電話機のお知らせランプがつくようになっているのだ。

それも毎回、携帯電話での問い合わせにも、実際に母の家に行ったときにも説明するのだが、固定電話に着信が入り、ランプが光るたびに電話をしてくる。携帯電話で。

2、3日前に行ったことを忘れることはもちろん、つい数分前に聞かれて答えたことを、また聞いてくることもしばしばである。

でも、数十年前のことはとてもよく覚えているのだ。ただし、それが本当に事実だったのかわからない時もあるが。

数十年前の記憶を繰り返し、何度も話す

母はこの時点で80代半ばである。その母の幼少時代であるから、約80年前の話を、父の入院以降、何度も僕は聞くようになった。

幼少時代、母はとある有名な湖の近くに住んでいたようで、実際に親せきが今もいて、僕も行ったことがある。

その近くにある有名な神社へ毎日のように、おんぶして連れて行ってもらったこと。

また、その後江戸川近くの親せきに預けられ、そこでの生活のこと、戦争中、東北の方へ疎開していたころのこと、東京大空襲の時に江戸川を、たくさんの黒焦げになった人が歩いていたこと、などなど。

これらは父の入院前までは、ちらっと聞いたことがあったかな、という程度であったが、父が入院して1か月ぐらいは、毎日のように聞かされていた。

最近のことはすぐ忘れ、昔のことを繰り返し話す、これは認知症の典型的な症状ではないのか?

ついさっき言ったことはすぐに忘れるのに、数十年前のことはよく覚えていて何度も繰り返し話す、父の入院以降すぐに、これが急激に激しくなった、と僕は感じるようになった。

”最近のことはすぐ忘れ、昔のことを繰り返し話す”、これは認知症の典型的な症状ではないだろうか。

いや、明らかに認知症だろう、と思うのだが。

ただ、最近のことは忘れると言っても、どうでもいいようなことは、しっかりと細かいところまで覚えていることもある。

例えば、母とあるデパートで週に1度は食事と買い物をするのだが、時間的に空いている時間に行くせいか、同じような席に案内されることが多い。

その時、母が「この間その席(となりの席)にいた人は、〇〇を食べていた。こんな服を着ていて、靴はこんなのを履いていた」というような、かなり細かいことまで言うことがあるのだ。

そしてそれはほぼ間違いではないのである。

また、家の近所のことについて、「〇〇さんのところは、今日は2台とも車がないから奥さんも旦那さんも出かけているんだね。昨日は2台とも置いてあったけど」などということをしっかりとチェックして覚えているのである。

周りの人や、近所の様子など、僕から見ればどうでもいいようなことは、細かいところまでよく見て、最近のこと、少し前のことも、しっかりと覚えているのである。

父の入院に関すること、病状に関すること、状態に関すること、郵便物や電話のことなど、本来覚えておくべきことは、何度説明しても記憶に残らないのに、そんな覚えておく必要もないようなことはしっかりと記憶に残るのである。それがとても不思議であり、また厄介なところでもあるのだ。

こういった記憶に関する問題から母が認知症を患っている、そしてそれが進んでいることは確かだと思う。

そして、それだけでなく、今の母には人格が2つあり、何かのスイッチでその2つの人格が瞬間的に入れ替わってしまう、というように感じることがしばしばあるのである。いつもの普通の人格と、豹変した時の怒りの人格である。

しかも、それぞれの人格はそれぞれの時の記憶が強く残り、もう一つの人格の時の記憶は思い出さないのではないか、と思われるようなときがしばしばある。

もしかしたら、単なる認知症だけではなく、精神的な疾患もあるのではないかと、思われることがあるのだ。

だから、早いうちにまずは認知症の診断だけでも専門の病院で受けてほしい、と強く思っているのである。

本人が承諾しないと認知症の受診が出来ない、対応のしようがないのか?

地域の包括センターに相談によって、新たに出来たという認知症などの支援チームからの母に対する支援もうけるようになった。

また父が救急車で搬送された病院は急性期の病院ということで、ある程度回復したところで、次の病院へ転院したのだが、その病院に物忘れ外来というのがあり、その病院の相談員さんにも母のことを相談している。(これらの経緯は、また改めて書こうと思う。記録として)

包括センターの方と、転院先の病院の方も母を受診させることについて連絡を取り合ってくれたりしてくれた、のだが。

どんなに、というか明らかに認知症の疑いがあっても、結局、本人の意志で受診してくれないことにはどうしようも出来ない、というのが結論だった。

もちろん、母にはそれを促している。しかし、その話になると母の人格が豹変して怒りの人格に変わり、「絶対に病院なんかいかない」ということになる。

以前かかりつけだった病院にも、2年ほど前にそこの医師と言い合いをしたようで、「もうここの病院には行かない」ということになり、それ以来、全く普通の病院にさえ、父の受診の付き添い以外は行っていない。

結局、一般に弱い立場と言われる人の人権が強く優先される日本では、本人が受診を拒否すれば、たとえ明らかに認知症であろう、そしてそれで心底困っている家族がいたとしても、介護認定を受けることはおろか、何の対応も出来ない、というのが現状である、ということが、受け入れがたいけど、仕方ないことだと思い知らさせれつつあるのである。