介護未満でも2年近く書けなかった

父親が階段から落ちた

一昨年の初冬、歩くのが苦痛になり、外出では車いすを使っていた父が、階段から落ちた。そんな状態で階段を使っていたこと自体が問題だったが、僕たちが1階で寝るように言っても、全く受け付けてくれずに、頑なに2階で寝ることにこだわっていた。

理由は、母が1階では寝たくない、からだった。

でも、やはり心配していたことが起きてしまった。夜中に階段から落ちてしまった。

夜中に母から電話が、「お父さんが階段から落ちて私じゃどうしようもできない」

すぐに車で両親の家へ向かうと、父が階段から落ちている状態で、頭から血が出ている。幸い意識はあったのだが。

すぐに救急車を呼び、近くの救急病院へ搬送、入院となった。

当時書いた記事が「老々介護」で残っていた。当時の記事では、父が最初に階段から落ちて入院、退院後は1階で寝るようになったことまで書いてあったが・・・。

父が入院すると母の言動が乱暴に

以前もそうであった。

数年前、膠原病で入院した時も母は父に対して、また病院に対して乱暴な言動をするようになり僕たちは困っていた。面会に行った時だけでなく、家から病院の父へ携帯をかけまくり、文句のような言葉を言い続けていたようだ。

その後、父が白内障の手術のため手術、3日間入院した時もそうだった。病院に私の家族と母と、父の病室に面会に行くと、父に対して暴言、病院、そして看護師さんに対しても暴言、そして私、私の家族にも。目鳴きにいかない時はやはり携帯電話をかけまくり、・・・。

結果、まずは右目の白内障の手術をして、その後2週間後に左目の手術をする予定だったが、結局、母がまた豹変することを恐れた父が、左目の手術は頑なに拒み、左目の手術は行わなかった。

父が入院すると母がおかしくなる、それがその後の僕たちのトラウマとなっていた。

入院時に看護婦長が携帯電話はいいですよ、と、しかし・・・

一昨年階段から落ちて、救急車で運ばれ入院となった時、たまたまいらっしゃった担当の看護師さんが婦長さんだった。

一般的な入院の際の説明の際に、僕たちが驚くべき一言が、「携帯電話はいいですよ」

規則を書いた資料にはNGとなっているのに、なんでそんなことを言うのか・・・。

案の定、翌日から母は父に携帯電話をかけまくり、父からも母へ何度も電話を。しかも電話の際の母の言葉は以前にも増して乱暴な内容になっていたようだ。回数も多く、長時間の電話でのはたから見れば異常なやり取り。

結果、僕は病院から、あの婦長さんから呼び出され、苦情を言われ、携帯電話は規則で禁止だから、と。でもあの時あなたがいい、っていったでしょ。と言っても、婦長さんは、その時渡された規則を書いた資料を出して、ここに書いてある通りですと・・・。

結局、約2週間の入院中、3回僕はその婦長に呼び出され、苦情を言われました。

その間も、母親の希望で面会に行くと、父に厳しい言葉と態度、そして面会中に父の下の世話を看護師がした時には激怒。

「あいつ(父のこと)は、若い看護婦におむつを替えてもらいやがって・・・」と。

父が退院すれば、元に戻るかと期待しつつ、やっと父が退院したが・・・

1階にベッドを用意したが結局また2階に

脚が不自由になってきた父が階段から落ちて救急車で運ばれ、入院。

当然、退院後は2回には寝かせられない、と誰もが考えるはず。当然、父も、そして母も、と思っていた。

でも2階で使っているベッドは、けっこういいもので簡単には下に移動できそうにない。そこで、母と一緒にIKEAへ父が1階で寝るためのベッドを買いに行き、母もその場では納得の上、ベッドとその下に敷くカーペットを購入、父の退院前にそのベッドを1階の和室に設置した。

やっと父が退院、夜は新しく購入設置した1階のベッドで寝るようにと、父はそれでも少し抵抗したが1階で寝ることに。

が、結局ダメだった。

1階のベッドで夜寝ようとする父に対して、母がまた暴言を浴びせ続けたのだ。

「入院している時は、若い看護婦に世話されてよかっただろう」「病院にいた方がよかったどろう」などなど、こういったことを1階のベッドで寝ようとする父に対して長時間、深夜まで言い続け、あげくのはてにはベッドの一部が母に壊され、室内にあった父の洋服ははさみで切り刻まれ、ということに。

結局、父から、「入院前のように2階で寝させてくれ」、と懇願され、承諾せざるを得ないことになった。絶対に階段から落ちないように、という期待できない約束をさせて。

父がまた2階で寝るようになってから、父と母の関係は元に戻っていった。

そしてまた父が階段から落ちた

その後、僕は週に最低でも2階は両親の家を訪れ、食事、買い物をするのが日課となってしまった。

同時に、このブログ、また他のホームページの更新、インスタグラムも、ほとんど更新できなくなってしまった。なぜだろうか。わからない。でも、そういうことをしようという気が全くなくなってしまった。

それから1年半ぐらいが過ぎ、新型コロナの騒ぎがまだまだ収まらない7月のはじめ、また父が階段から落ちた。

夜、母からの電話、「お父さんが階段から落ちて私じゃ何もできない」、前回の時と同じ言葉が。

家内と一緒に、僕は頭が真っ白な状態で、車で両親の家を向かう。

両親の家に着き、室内に入ると階段の下で動けなくなっている父の姿があった。

前回と同様、頭などに傷があり、少し血が出ているが、意識ははっきりしている。でも全く動けない。

なんとか車椅子に乗せ、リビングの長椅子に横たわらせた。

父は全く動けないと言っている。本来ならば、階段から落ちている父の姿を見た時にすぐ、救急車を呼ぶべきだったのだろう。でも、意識ははっきりしている、生死にかかわる状態ではない、落ち着けば今までぐらいには動けるようになるだろう、というような、救急車を呼ばなくてもいいという言い訳だけしか、その時の僕には思いつかなかった。

今までの、父が入院した時の母親の姿がトラウマとなっていたのだ。

1階に置いてあった以前購入したベッドは、すでに撤去してあった。でも、父は動けず2階のベッドには連れて行けない。そこで当日は父をリビングルームの長椅子に横たわらせたままその夜は過ごしてもらった。

翌日、両親の家へ行くと、父は長椅子に横たわった、というより半分ずり落ちている状態、しかも下も汚れている。

すぐに車に積んでいたペットシートで車椅子の座席を養生してに父を何とか車椅子に乗せた。そのまま風呂場へ連れて行き、服を脱がせて体をシャワーで洗ったのだ。その少し前に、身体障碍者手帳を持つ娘が使用していた身障者用の風呂用椅子を風呂場に置いていたので、なんとかそこに座らせ、シャワーで父の体を洗うことが出来たのだった。

風呂場からまた、リビングの長椅子へ。その後、急遽購入したエアーベッドをリビングの隣の以前ベッドを置いていたところへ設置、長椅子から移動させた。ベッドから車椅子ぐらいへは移動できるようになるだろうと思い、自力で移動できる車椅子も新たに購入。

しかし、2日経過後もベッドから横たわった状態から全く動けず。高齢者用のおむつをさせ、その交換のため、車椅子に何とか乗せて、1階のトイレへなんとか載せ替えた後だった。声をかけても父の反応が全くなくなった。意識がなくなってしまったのだ。

父が意識を亡くし救急車で搬送、また入院に

これはもしかしたら・・・、と救急車を呼んだ。でも、救急車を呼ぶ前には父が意識を取り戻した。救急車が来て、搬送先を調整するが、なかなか決まらず、結局少し遠い病院への搬送が決まり、救急車には母が同行して僕と家内は車でその病院へ向かった。

そしてまた父は入院となった。

今までもそうだったが、この時も父が入院した、という時点までは母はほぼ正常な状態だった。

ただ、幸か不幸か世の中は新型コロナがまた増えてきたところで、面会は制限され、すぐに全面的に家族でも面会禁止となった。

僕らにとっては、それが幸いとなり母を病院に連れて行かない理由となってくれた。

また、今回はすぐに病院の看護師さん、また相談員さんに以前の入院時の母のことを話してあり、また同時に携帯電話を使わせないよう(実際、病院内の使える場所への移動は父にはできなかったが)お願いして、実行された。

父と携帯電話で話すことも出来ない、面会も出来ない、ということで今回は母と病院とのトラブルは、医師の説明の時の面談のみで、最小限にできた。

今度は母から僕に電話の嵐が、外出先で豹変することも

しかし、父の入院後、僕はほぼ毎日、母のところに通うことになった。

母の食事に付き合い、外食、そして買い物と、ほぼ毎日。

新型コロナの影響で自分の経済的な支えとなる、僕たちのお店の売り上げが激減、そちらの方に力を入れたいところだったが、そちらが何もできない。

そしてまた母の言動が乱暴、というか凶暴になっていく。

母は、父のことを思い出すと、「入院して若い看護婦に優しく世話されて、あいつは喜んでいるだろう」と前と同じような言葉とともに、今回は私に対して「お前には家に話し相手がたくさにるけど、私には誰もいないんだから」というような怒りの言葉がしばしば出てくるようになった。

そしてそれは、母と対面している時だけでなく、僕のスマホにもかかってくるようになっていった。

以前入院していた時には、父に対してもこんな感じ立ったのか、と改めて父が大変だったな、と思ったが、それは想像以上に僕の心を乱していくことになった。

僕は母から電話があることに怖くなり、電話にも出ないようになっていった。スマホには多いときには母からの着信が50回以上入っていることもあった。そして、怒りの言葉が収録された留守電も。

そのうち、僕が出ないと家内に電話がかかってくるようになったが、ほとんどの場合、家内がうまく対応してくれた。家内には感謝である。

また、今回父が入院した後すぐに、地域の包括センターへ相談、最初は父のことだったが、すぐに対象は母へ。そちらからのヘルプも。

それについては別に書こう。

今は入院している父のことを心配する余裕も僕にはなく、ほとんどなく、母の対応だけで精神的に参っているのが現状である。

介護とは言えないかもしれない。