
サザエさん、言わずと知れた日本の名作アニメ
サザエさん、長谷川町子原作の、日本人なら誰でも知っている漫画、と言っていいのだろうか。
もしかしたら、若い世代の人の中には知らない人もいるのだろうか?
でも、若い人でも子供のころにはテレビで見ていた人も多いのではないかと思う。
そして50代であれば、子供のころから知っている、見ていたテレビ漫画、と言ってもいいだろう。
もしかしたら、子供のころからずーと見続けている、という人もいるんじゃないかな。
我々にとっては子供のころからテレビで見ていたアニメで今も続いている唯一の番組ではないだろうか。
サザエさんがテレビで始まったのが、1969年、昭和で言えば昭和44年である。僕が10歳のことである。
でも僕がサザエさんを見たのはそのアニメになる前からであった。
実写版のサザエさんが、江利チエミさんが扮してやっていたのをテレビで見ていた記憶があるのだ。調べてみると、この江利チエミさんの実写版サザエさんは、1965年11月から1967年9月まで、これはTBSで放送されていたようだ。僕が6~8歳ぐらいのころであるので、しっかりと記憶に残っているのだ。
江利チエミさんのサザエさんはそれをさらに遡る1956年から東宝で映画化されているようで、この映画版サザエさんは10本も作られていたようだ。が、さすがにそれは記憶にない。
そして、さらには1948年9月にマキノ映画という会社が東屋トン子という女優さんを主役に映画化している。このころになると、僕も生まれる前なので全く知らなかった。
調べてみると、改めて、サザエさんの歴史の深さを感じる。
最近でも観月ありささんがサザエを演じた実写版をやっていたが、やっぱり誰もが知っているサザエさんは、テレビアニメのサザエさんだろう。
何せ、1969年からということは、今年で49年目、来年は放送開始50周年となるのである。
まさに、50代が子供のころから見ていた、そして50代が今でも見ている、あるいは見られるアニメなのである。
テレビのサザエさんと言えば、東芝なのである
さて、そのテレビ版サザエさん、1969年のスタートからスポンサーとして支えてきたのが、東芝である。
サザエさんのアニメの放送開始の1969年から1998年までの29年間、サザエさんのテレビスポンサーは東芝一社だったのである。
1998年、東芝一社でのサザエさんのスポンサー提供は終了するが、その後もメインスポンサーとしてテレビアニメのサザエさんを支え続けててきた。
が、なんとその東芝が3月25日のサザエさんの放送を持って、サザエさんのスポンサー提供を終了するのである。
半世紀近くにわたって支えてきた、国民的アニメのサザエさんのスポンサー提供を終了するのは、おそらく東芝にとっても苦渋の選択であっただろう。
なぜというわけではないが、直接東芝とは関係ない僕でも、なんとなく寂しい気持ちを感じるのだから、東芝関係者の方は、もっと寂しい気持ちを感じるのではないだろうか。
ただ、サザエさんの番組自体が終わるわけではないのが幸いである。
まだまだアニメのサザエさんはテレビで続くので、また東芝がサザエさんのスポンサーとして復帰することもあるかもしれない。
そういえば、僕らが子供のころは、アニメが特定の企業をイメージさせることはよくあったのかもしれない。
今でも覚えているのが、ジャングル大帝レオである。
これも1965年がテレビのスタートだったアニメで、僕らの子供のころの人気テレビ漫画のひとつだった。
このジャングル大帝レオの主題歌の最後が、「サンヨー、サンヨー、サンヨー でんき」と、スポンサーのサンヨー電機を連呼して終わるのであった。
最近は、こういうことはないと思うが、当時はこんな時代だったのである。
そのひとつがサザエさんと東芝であり、今も続く希少なテレビアニメなのである。が、ついにその東芝がサザエさんのスポンサーから降板することになってしまったのだ。
東芝には、いろいろな意味で復活を期待したい
東芝がサザエさんのスポンサーから撤退したのは残念な気もするが、多くの人はその背景から仕方ないのかな、と思うかもしれない。
もともと東芝と言えば、日本の高度成長を支えてきた、日本を代表する電機メーカーである。
その東芝が昨年には東証一部から二部へ、そして今や、海外企業の傘下になっているのである。
しかし、日本で働く東芝の社員にとっては思いもよらないところから端を発してあっというまにそんなことになってしまった、という感じではないだろうか。
東芝がサザエさんのスポンサーさえ撤退せざるを得なくなった原因は、海外での原子力関連事業の失敗である。
2006年にイギリスの会社から買収したウェスティングハウス・エレクトリックの巨額の現存処理、およびそれに関する不適切な会計処理が東芝をそこまで追い込む結果となったと言っていいのではないだろうか。
これには、2011年の東日本大震災にて発生した福島第2原発のの事故による、世界的な原子力発電所への逆風の影響が大きいのかもしれない。
しかし、その海外での原子力関連の事業の失敗が結果的に日本の東芝本体にも瀕死の影響を及ぼしてしまったのである。
僕の数少ない高校時代から今でもたまに飲みに行く数少ない友達、親友というのだろうか、その中にも東芝でなんとか研究所のセンター長にもなっていたやつがいる。
彼の話によれば、日本国内での東芝の営業状態自体は、決して悪いものではなかったそうである。
だから日本で最高の赤字を計上した当時も、日本国内の東芝社員の感覚としては、「なんで?」というのがほとんどだったようだ。
海外での原子力事業の巨額損失は、日本国内の東芝社員にとっては、ある意味寝耳に水的な出来事だったのかもしれない。
もちろん、それに対する東芝経営陣の対応のまずさもあったのだろう。
結果として、東芝という日本を代表する電機メーカーが海外企業の傘下にまでなってしまったことは、かつて電機部品メーカーで働いていた僕も、とても残念である。
ましてや東芝の社員の気持ちは、想像以上のものかもしれない。
かつては、ジャパンアズナンバー1と言われ、世界を席巻していた日本企業の衰退、特にエレクトロニクス分野での日本企業の劣勢はとても残念である。
東芝、そしてシャープもしかりである。
でも、僕は日本の技術を信じている。
近い将来きっとまた、日本の電機メーカー、日本のエレクトロニクス技術が世界の先頭に立つ時が来ると信じている。
そのためにも、東芝、そしてシャープにも、復活してほしいのである。
これは、日本人なら誰でも思うことであると思う。
サザエさんは今後も続くだろう。
東芝もまた、サザエさんのメインスポンサーとして復活する日が来ることを心から期待したい。